雑音万華鏡 -Noiz-

愛してやまない音楽たちにあふれんばかりの情を込めて

Vol.3 FAMILY / スガシカオ (1998)

スガシカオの世界はうさん臭い。体臭よりもひどいあの臭いも、人のえげつなさも、それでいて下心を決して隠そうとしない人間同士の愛情までをも曲の中に描いてしまう。そこに人間への愛はあるかと問われると、はたと考え込んでしまう。この人は人間が憎いのではないのだろうか。自分と同じ土俵に立っている人間なるものに憎悪を持って、一人ナイフを振りかざしているのではないのだろうか。もしかしたら人間以外の動物しか愛せない人間なのかもしれない。いや、排泄行為に臨む生き物たち全てに対して嫌悪感を持っているのではないだろうか。

生ぬるく語る愛情の中には長続きを見せる雰囲気すらなく、人を駆り立てる歌詞の中には、その代償、責任を取ろうとする態度はこれっぽっちも見えてきやしない。紡いだ言葉は放りっぱなしで、受け取る先が何を感じようがこっちの知ったことではないとほくそ笑んでいるようにも見える。

人とは何だろう。ただ一人の人間が描く世界に勝手に揺さぶられ、大きく入れ込み、時には嫌悪して抹消を図ろうとまでする。こんな何ともあさましい生き物に対して、無償の愛情を注ぐことなど出来るだろうか。だからスガシカオは歌いきる。人とは無駄な生き物であると。食べては排泄するだけの不完全な永久機関であると。その行為の中で「生きる」という寄り道をしてしまう、なんとも不格好な存在であると。

ここに確かに愛は語られている。未来も語られている。しかしスガシカオがそれらを信じているかと問われると、是とは言い切れない。だからうさん臭い。何かを包み隠しながら歌を繰り出し、その裏で絶対に舌を見せている。包み隠されたものをありがたく頂戴する聴衆を嘲笑うかのように、次々と心に刺さるナイフを作り出す。ナイフに刺され尽くした人間がどうなろうと知ったことではない。ただ、自分が持っているだろう痛みの源を、そのまま相手に返している。それがスガシカオの一連の企みなのだろうとうっすら見抜きながらも、自分もその被害者になっていくのだ。

(932文字)

 

FAMILY

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