雑音万華鏡 -Noiz-

愛してやまない音楽たちにあふれんばかりの情を込めて

Vol.5 WE LIVE HERE / PAT METHENY GROUP (1995)

音は恋をしたことがあるだろうか。

楽器と声が複雑に絡み合い、音符という一瞬の出来事の連続の中で音楽は作られていく。それぞれが色を持ち、意味を持ち、役割を与えられ、その中で楽曲は進んでいく。その瞬間を切り取った際の楽器の交わりあいを人間に例えるならば、それはそれで一期一会の恋なのではないだろうか。

瞬間の連続が楽曲であるのならば、フレーズの一つ一つに意味を込めていくPAT METHENYのギターは恋を牽引する役割を果たしてはいないか。脇を固める楽器は、その恋のフレーズを今か今かと待ち遠しく思うようにして楽曲の時間を進めていく。そして主人公は必ず現れる。音の恋をかき乱し、集約し、解散させる全ての魔法をその手に従えて。

とある人は音に恋をする。音を欲し、貪り、時に飽いて放り捨てる。永遠の愛を誓いながらも、いつかは別れてしまうこともある。初期衝動だった恋は、腐りきった愛のゴミくずとして葬られることもある。それでもまた次の恋へと走る。何も学習しないままで。

音はそれをせせら笑う。僕らはいつでも恋をしているんだ、と。楽器同士の巡り会いに繰り返しはなく、必ずどこかで螺旋のねじれが生じている。そのねじれの中に恋はあるじゃないかと。孤独なパートもやがては新たな人を迎えて次の巡り合わせの中に身を埋める。紡ぎ出される音は恋に弾け、甘く歌い、時に人をその気にさせる。

音が恋をしているからこそ、その音楽を聴いた人は必ずいつかは恋には落ちる。愛する手前の出逢いの時間にときめく音は間違いなく恋をしている。そこにとらわれた人の耳も、やがて誰かと恋に落ちる。恋する音を媒介に、恋する音を仲人に。

We Live Here

We Live Here