雑音万華鏡 -Noiz-

愛してやまない音楽たちにあふれんばかりの情を込めて

Vol.10 桜の木の下 / aiko (2000)

あなたあなたあなたあなた。あなたがいない世界は何もないのと同じ。あなたがいなければわたしもいない。

一体どれだけのあなたが繰り広げられいるのか。あなたがいるだけで世界は輝く。わたしはそんなあなたのいる世界が好き。わたしはいらなくてもいい。とにかくあなたがいてくれればそれでいい。あなたを見つめているだけで、あなたと手を繋いでいるだけで、あなたと時々キスをするだけで、それだけで幸せになれる。わたしがわたしとしていられる。なんという恋愛絵巻物。

恋愛であるからこその脆さが描かれる前に、その幸せさ加減だけが次から次へと繰り広げれている。aiko恋愛依存症なのだろうか。実際にaikoはあなたという愛がなければ死ぬこともいとわないと歌う。あなたという愛。確かに愛は二者が存在しなければ成立しない。それでも徹底的にあなたばかりを描写するこの世界は恋愛依存症と言い切ってもいいのではないだろうか。人は心変わりもする、歳も重ねる、変化から逃れることは出来ない。その変化すらも飲み込みあなたを食べていくことでわたしは生きていけるというのは、ある種の恋愛カニバリズムではないか。食料がなくなった段階で、もうわたしという存在すら放棄すると歌う。ただの女性ではない。男性からすると恐怖すら覚える。

それほどまでに恋愛を歌に刻み込もうとするそのエネルギーはどこから出てくるのか。古いタイプの恋愛像と言えるわたしを犠牲にしての愛ではなく、あなたの全てを見つめることだけで愛のポーションはこんこんと湧き出す泉のように生まれてきているらしい。これを理解できるのは、やはり愛の泉を持つ女性だけの特権なのではないか。その特権をとことん利用して、「あなた>わたし」の世界を描きに描くのがaikoの世界の全てと言えるのかもしれない。

収録されている「カブトムシ」に印象的な一節がある。

あなたが死んでしまって あたしもどんどん年老いて
想像つかないくらいよ そう 今が何より大切で…

やがて二人が老いることは理解している。それでも今そこにいるあなたを愛おしく思うわたしが大切なのだと歌うaikoの愛は、「恋愛依存症」という言葉で簡単に片付けられるものではない。あなたがいてこそのわたしという世界の全てを描いた結果が、愛があふれ出す一連の恋愛絵巻物として世界をパッケージしているのだ。ここまで恋愛を濃厚に描くaikoが安定した人気を保っていると言うことは、世の中には愛の泉を持つ女性が多く存在するということでもある。なんとも脆く恐ろしい世界。愛は女性の特権なのではないかと錯覚してしまうほどの世界に、男性である自分はただ屈服するのみなのである。

(1098文字)

 

桜の木の下(SACDハイブリット盤)

桜の木の下(SACDハイブリット盤)