雑音万華鏡 -Noiz-

愛してやまない音楽たちにあふれんばかりの情を込めて

Vol.12 Kill to Get Crimson / Mark Knopfler (2007)

友を亡くした悲しみはどこから降ってくるのか。友は長いバケーションに旅立って行ったような感覚しか手元にはなく、僕は悲しみからはいまだほど遠いところにある。むしろ心に巣くうのは虚無感、僕の永遠のパートナー。もう連絡もつかないところに彼は行ってしまい、携帯電話のアドレス帳から一人消えていくだけの話。それは単なる携帯電話の整理。もう使うことのない番号を捨てただけのこと。

そこにあった遺体は、ただ深く眠っているだけの姿であって、目を覚まさないことが信じられないまま今日まで来てしまった。本当に彼はいなくなってしまったのか、それを確かめる術はない。自分の中に住んでいる虚無感のブラックホールに全ては吸い込まれ、日常の一環としてのイベント事として片付けられてしまったような感覚。どう考えてみても彼は消えてはいない。それでも携帯電話からはもういない。この矛盾をどう説明してくれよう。

ノップラーは一人だ。亡くなった彼よりも遙かに長く生きている。しかし多くの別れを経験した者の持つ孤独の通奏低音が流れている。それは訥々と歌いながら作業をする職人の手の動きによるものか。愛でるギターをつま弾く指が描き出す別れの言葉が導き出すものか。しかし孤独がそこにあっても、悲しみを感じ取るまでには至らない。あるのは虚しさ、あの虚無感だ。聴けば聴くほどに、その深い淵は全てを飲み込んでしまう。しかし、もしかしたらその虚無の淵の中に悲しみなるものが眠ってはいやしないだろうか。

たとえ悲しみを取り出すことに成功したとして、その後、僕はどのようにそれに向き合えばいいというのか。人を失うたびに深くなる虚無の淵。やはり悲しみを引き出すことは出来ないものなのか。ありとあらゆる虚しさの中の一つとして棚に並べられ、心のインテリアと化してしまうのか。ノップラーの孤独は、悲しみを作り出しはしない。死なるものを装飾することを教えてくれるのみ。それでもいい。自分の心を飾り付ける一つのイベントとして、またぽつんと置き忘れていけばいい。いつかはかけがえのない飾り物として、自分の心に刻み込まれる日がくるだろうから。その時にはきっと悲しみなるものを知り、友の死を受け入れることもできるだろう。

(1,037文字)

 

Kill to Get Crimson

Kill to Get Crimson