雑音万華鏡 -Noiz-

愛してやまない音楽たちにあふれんばかりの情を込めて

Vol.18 blind summer fish / 坂本真綾 (2001)

記憶は蜃気楼。あの時の場面はいつの間にか揺らぎの彼方に映し出されるだけになっている。それすらも曖昧で、そこに果たして自分はいたのだろうか、誰かが作り上げたショートムービーなのではないかと自信すらあやふやに。10年前は近い過去ですか?20年前は遠い過去ですか?時系列の壁は押し流されて、全ては「かつて」に飲み込まれていく。取り出す箱の蓋が見当たらない。

季節はさらに曖昧に。四色混合の世界はどれを取り出しても、混在した季節しかこの手のひらに乗せることは出来ない。自分を通り過ぎた人の残した残滓、自分が通り過ごした季節の残り香。そのどれもが今の自分を切なく押し潰す。歪んでしまった季節を補正する術も知らず、混在したままの自分の記憶となる。その過去に自分は存在していたのか。これは自分の本当の記憶なのか。曖昧さに頭を抱えて倒れ込む。

堆積した過去は幸せですか。どこかにしまい込んで忘れてはいませんか。辛い記憶だけが表面を塗り潰してはいませんか。

夏の魚は冬を知らず、冬の鳥は夏の土地を知らず。自分が立っていられるのはこの一瞬、今というやはり曖昧な時間の上。すぐに記憶の歪みに入り込み、フラッシュバックするだけの1枚の写真となる。そこに連続性はなく、次から次へと過去が生まれては消えてゆく。儚いシャボン玉は暗喩。表面の虹色はマーブルに動きを見せ、これが記憶の歪みだと目の前に突きつけられる。やがてはじけ飛んでは、また一からやり直す記憶の再生産。春のシャボン玉、夏のシャボン玉、秋のシャボン玉、冬のシャボン玉。絡み合っては季節を埋める。記憶を埋める。

掘り出された季節の記憶。確定出来ない時期に記憶は惑う。記憶は蜃気楼。遠く歪む景色の果てに、また騙される季節が手招きしては自分を待ち受けている。

(738字)

 

イージーリスニング

イージーリスニング