雑音万華鏡 -Noiz-

愛してやまない音楽たちにあふれんばかりの情を込めて

Vol.37 IF YOU TOLERATE THIS YOUR CHILDREN WILL BE NEXT / MANIC STREET PREACHERS (1998)

時折雨がぱらつく、ぐずついた空模様。目の前で子供たちは雨をものともせず走り回っている。大きい子供の後ろを小さい子供が、目に見えない力で引っ張られるようにして、列をなして走り回っている。

いつから雨に濡れることをいやがるようになったのだろうか。考える。走り回る子供たちの手のひらはみな小さく、まだ大きなものをつかみ取ることは出来ない。まだそこからこぼれ落ちるものの方が多いというのに、希望などという難しい壁を突き破る勢いで走り回る。

目の間を走り回るのは命の塊。爆発しそうな力を蓄え、その捌け口にすら無意識で走り回る。大人として子供たちに与えられるものは何かと考える。大人になるという道か、財産か。そのいずれもピンぼけを起こしているように感じられる。子供たちの手に乗るような丁度よいサイズの将来、希望、夢。手のひらが大きくなるにつれ、重くなり、直面し、時に自ら投げ捨ててしまうことのある、貴重な抽象物。果たして今、それを与えられているだろうか。

小さな身体と大きな心に宿るのは夢。漠然として、それでいて具体的な夢。大人はいつからそれを笑う立場になってしまうのだろうか。子供に蓋をすることが大人の役割になってはいないか。夢にはたどり着けない。希望は叶えられない。子供たちは自らの力でそれを知り、そしてやがて我々と同じ諦めを持って歩みを止めてしまい兼ねないというのに、その背中を押すだけの蓄積が我々大人に宿っているだろうか。

一人の子供が足を止める。彼ら彼女らを眺めていた自分に興味を持ったかのように視線が合う。私は見られた。子供の持つ無限のエネルギーを疑った私を見抜いたかのようにじっと見られている。私は恥じ入る。子供はすぐに私から興味を失い、また走り回る列に加わり、どの子がその視線の持ち主だったのかすら分からなくなってしまう。子供は私に動揺を与えた。

走り回っているだけの今はいい。そのエネルギーはきっと身体の成長と共に、全身に薄く行き渡るだろう。そのエネルギーを失われないよう努めるのが我々大人に出来る唯一のことなのだろう。

雨は止む。雲間から差し込む光が子供たちを照らしはじめ、やがて気がつくと列はなくなっていた。私も腰を上げる。子供を思う一時の心の揺らぎはやがて消え失せ、そして大人達の列にまた加わる。子供たちもまた自分たちの列を作り、大人になる日々を過ごしていくに違いない。 

This Is My Truth Tell Me Yours

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