雑音万華鏡 -Noiz-

愛してやまない音楽たちにあふれんばかりの情を込めて

Vol.48 Tree / SEKAI NO OWARI (2015)

ハーメルンの笛吹き男に連れ去られた130人の子どもたちの行き着く先は夢の世界か、それとも魔物の待つ地獄か。子どもたちは勇ましく行進をしたのか、それとも意識を奪われ夢心地の中で歩いていたのか。

SEKAI NO OWARI『Tree』。この中にあふれるパレード感、ここではないどこかと向かっていく勇ましい行進、その途中で次々と現われる現実離れしたエピソードの数々。これは思春期の少年少女たちに与えられた冒険譚、すなわちファンタジーを基調としたライトノベルだ。

ファンタジーと言ってしまえばそれまでの物であっても、ストーリーとしての文体、すなわち各楽曲の舞台設定は明快。だからこそ思春期真っ盛りの少年少女たちにとっての、物語の玉手箱のような存在としてSEKAI NO OWARIはあるのではないだろうか。生きていく中で現われるありとあらゆる事象に対する強い疑問を持ち始める年頃ならではの、ある種の万能感と有形無形の敵の出現。そして誰もが剣を持った戦士になれる世界観の応酬、それが本作の核にある。

同時に、向き先のわからない衝動、焦燥感、形にならない強い願望と言ったものが満たされる世界、そのどこかへと連れて行ってくれるリーダーがここに存在している。SEKAI NO OWARIというバンドがリーダーであるならば、リスナーはそのパーティの一員。どこか脆いところも持ち合わせながらも、力強く歌を刻み込むリーダーの姿は、少年少女たちが理想とする大人像の一つなのかもしれない。リーダーは決して彼ら彼女らを否定することはない。同じ立場で行進をし続ける。

歌詞が作り出す文面上の世界観からだけではなく、リズム、すなわち疾走感と躍動感を前面的に打ち出した非常に明快に作られているトラックからも感じられるリーダーの牽引力。思春期まっただ中にある自分の中に芽生えた得体の知れない何かとは何か?その解を与えてくれる存在としてSEKAI NO OWARIが目の前に現われたのだ。

すなわち、ここに集められた楽曲は人生の通過儀礼をファンタジーの場を借りて描いた、特定の年齢層に強く訴えかける、ある種の救い、アンセム集なのだと言える。

精神的に成熟した大人であれば、これらの世界観を「かつて通り過ぎた物」としてきれいに忘れ去り、歌われている世界は夢物語に過ぎないと笑い飛ばすことも出来る。しかし自分の精神年齢をどの位置に置くかによって、見え方は大きく異なってくるのではないだろうか。言い換えれば、大人がSEKAI NO OWARIを聴くに当たっては、精神年齢の可変能力を試されるとも言える。

さて、ハーメルンの笛吹き男の精神年齢はどのようなものであったのか。子どもたちを連れ去るメロディは、子どもたちの視線と同じ高さで奏でられていたに違いない。SEKAI NO OWARIを聴くにあたり、大人達は確実に試されている。これを受容することが出来るか否か。思春期の視線を今でも忘れずに保っているか。思春期と同じ視線の高さの確保。SEKAI NO OWARIが受け入れられている本質は、ずばりそこにある。

(1276字)

 

Tree(通常盤)

Tree(通常盤)