雑音万華鏡 -Noiz-

愛してやまない音楽たちにあふれんばかりの情を込めて

Vol.50 ストーリー / スガシカオ (1998)

また一つ歳を重ねた。歳を重ねるということは過去を重ねることであり、同時に未来を削っていくことでもある。人生の貯金箱は過去にあるのか未来にあるのか。

育って行く子供たちの貯金箱は未来にあり、言葉を覚え、文字を覚え、そして社会を覚えていく。その成長を見届けることは決して悪くはない。過去の自分がそうであったように、彼ら彼女らもまた同じように成長し、歳を重ねて行く。

振り返ってみて自分はどうだ。確かに過去は重ねた。しかしそれは十分な過去であったか、今を嗤う過去ではなかったか。未来を先取りする過去であったか。人生の予算を削り、今にそれを使い果たし、何も先に残らないということはないか。

いや、悲観することなかれ。未来の消費は過去を積み重ねることでもある。その重みは決して密度の高いものではないとしても、もしかするとまだ何らかの希望はあるかもしれない。希望というものの実体はつかめなくとも、歳を重ねるごとに過去を振り返れば、何かしらの形になっているものはあるかもしれない。いまだそれが見えなくとも、自分以外の誰かがその積み重ねを看取っているかもしれない。そのフィードバックを素直に受け取ることが出来るようになるのが加齢であるならば、歳を重ねることも悪くはない。

床に座り、または外を駆け回り各々の遊びに興じる子供たちの笑い声は、自分の人生を看取ってもらえるというエネルギーになる。そうであるならば、せめて影の強い人生であろう。対するは強い陽射しがあってこそのもの。熱に灼かれ、地面に強い影を遺し、ここに確かに自分はいたのだというしるしを刻みつけようじゃないか。

まだ人生は半分。ようやくの折り返し地点。しかし同じスタートラインに立っていたはずも、先に逝ってしまった友もいる。親族もいる。自分また粉となり土へと返る日が急に訪れるかもしれない。せめて天寿を全うし、突然消えてしまうことのない人生を歩みたい。歳を重ねるごとに増えていく感傷に耽る時間は、これから育っていく子供たちに思いをはせることでもある。まだその時間が欲しい。

足元を駆けて走り去っていく子供たちよ、未来を重ねろ。自分はこれから過去を重ねていく。まだまだその先へと続いて行く。

(910字)

 

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