悲しみの時、喜びの時。空は全てを見ている。自分の中からぼんやりと消えてしまった記憶も、忘れてしまえと投げ捨てた記憶でさえも、空はしっかりと覚えている。
自転車で走る伴走は風。空は穏やかにそれを見つめ、時に向かい風を与える。何という軽い裏切り。それは自分への課題。毎日は何かを考えなくては生きてはいけない。空がそこで見ている限り脳は休むことなく働いている。自分の中の働き蜂。過去のこと、今のこと、未来のこと、浮かんでは消えてしまうこと、よしなしごと。時に頭は脱線してまた目の前のことを忘れている。自転車はそれでも前に進んでいる。自分が止まらない限り。風も吹いている。空が休まない限り。
改めて天を仰ぐことたびたび。青空の喜び、曇り空の曖昧、雨天の痛み、厳しい雪。あれほど遠くにあるものだというのに、地上に立つ自分に一喜一憂を運んでくる。感情の巨大なストレージ。そこに全て詰まっているというのに、その全てを見ることはあたわず。見晴らしの丘に立ち、一面の空を見つめたとしても言葉は降っては来ない。空模様に感情だけがただ揺さぶられ、生きることのヒントをたまに与えるのみ。
朝焼けの空、夕焼けの空。晴天であるならば空は時とともに色を変え、時間を経て心を揺さぶる。希望と反省。
夏の空、冬の空。変わる高さはやはり心を揺さぶる。孤独と寂寥。
ああ、ぼんやりと預けた記憶はやはりぼんやりと浮かび、少しの悲しみを覚えた時には癒やしを求めて天を仰ぐ。空は色褪せることなく空であり、記憶と感情はやがて色褪せる。色は混じり合い、バランスを取りながら、自分に許された時間の経過をのんびりと見守っている。常に人を見守る空は、人々の色褪せていく時間を全て受け止め、悠久の時に何も語らずそこにある。変わるのは人々の歩みのみ。
空は今日もまた何事もなかったかのように表情を変え、そして人の記憶と感情を受け止めている。