雑音万華鏡 -Noiz-

愛してやまない音楽たちにあふれんばかりの情を込めて

Vol.35 夕立のりぼん / 伊東歌詞太郎 (2014)

唇と唇の距離はゼロになった。それはキスをしたと言うこと。途端に彼女が涙を流し始める。私はそれがまるで自然の行為であるかのようにその涙を舌で拭う。彼女は信じられない物を見たかのような目で私を見ると、後ずさりしはじめ、振り向きざまに雨の中を校門に向かって走り出した。傘も差さずに。

わたしはと言えば、彼女とのキスに罪悪感はなかった。ただ今は興味のある男子がいなかっただけの話。かといってキスをする相手が誰でもよかったわけじゃない。さっき逃げていった彼女の唇があまりにも魅力的だったから、キスをしただけの話。それだけの話。

女子のことが好きなのかと聞かれれば、そう、と答えるかもしれない。でも女子なら誰でもいいわけじゃない。彼女だけは特別に見えた。その唇だけが特別に見えた。つや?張り?そう言うものはよく分からない。それはみな同じようなものだと思うから。

いつから彼女の唇を意識しはじめたのかも分からない。気がついたら好きになっていた。心臓がはねるようなものじゃない。顔が赤くなるようなものでもない。ただ、彼女の唇に自分の唇を押し当てたら、何かが変わるんじゃないかって、ほんの思いつきだったのかもしれない。彼女がそれをどう受け止めるかなんて、実はどうでもいいことだった。ただ、私がキスをしたかっただけだった。

彼女が逃げていった後の校舎裏は、雨をしのぐ場所もなく、私は濡れる。彼女に触れた唇も濡れる。私の全てが濡れる。

彼女とのキスは、私に何も起こさなかった。

私は濡れそぼる。急に哀しみがこみ上げて、初めてのキスが彼女であったことを後悔し始めていた。私はなんで彼女とキスなんかしたんだろう。なんであの唇がそんなにまで魅力的に見えたんだろう。キスしてしまえば、それはただの唇となって色褪せた。そしてやはり私は彼女がどう思ったかなんてことは考えもしなかった。私が哀しいと思うだけだった。

ふと下を見ると、制服のリボンがすっかり雨を吸い取って、その先から水がしたたり落ちている。それを見て分かった。ああ、私は傷ついている。たった一度のキスで傷ついている。キスは哀しいものなんだって、それだけが分かったこと。

雨はまだ止みそうにもない。私のキスはこの雨が洗い流してしまったの?問いかけても誰が答えるわけでもない。答えるのは私だけ。そう、雨がたった一度だけのキスを洗い流してしまった。私の心はきっともううるおうことはない。一度のキスだけで、私の全ては色褪せて、乾いてしまったの。

一意専心

一意専心